2013年 08月 20日
彼は物書き、彼女はダンサー -Aさんの生物学的思考-
何年ぶりかのお盆真っ只中に、実家に帰省して参りました。
個人的大義は成し遂げられなかった感がありますが、
物的と言うよりは心的に、数多くのものを得る事が出来た、
非常に有意義な時間でした。
物的なものも、幾分か摂取して参りました。
@新幹線
冷奴
とうもろこし
肉じゃが
いやー、休日って素晴らしいですね。
今回の帰省で一番強く感じた事は
「両親の偉大さ」
です。
先日ある泥酔した人物(Aさんということにしておきます)に、頂いた言葉があります。
○Aさんの生物学的思考の話○
A「世界中に色んな人間がいるけどさ、どんな人間にも全て共通してることがあるんだよ。わかる?」
私「(いきなり何だよと思いながら)・・・はぁ。」
A「日本人も、アメリカ人も、中国人も、人以外の動物や虫も、みーんな共通してる事なんだよ。わかる?」
私「(相手が泥酔して面倒なので)・・・それ何ですか???」
A「それは『生まれる』、『死ぬ』の2つだよ」
私「(いきなり何言ってるんだろうこの人)・・・。」
A「その中で、人間は国とか人種とか病気とか事故とか色々あるけどさ、この2つだけは全生物共通だろ?」
私「(めんどくさいなーと思いつつ)まぁ・・・。それがどーしたんですか???」
A「人間なら学校とか就職とか兵役とか趣味とか恋愛とか結婚とか色々あるけどさ」
私「はい」
A「それらを究極的にそぎ落とすと、人生における生物の存在意義は『生まれる』、『死ぬ』、そして『子孫を残す』になると思うんだよね」
私「んー・・・。それは見方によって考え方が色々あると思いますけど・・・。子供がいなくても幸せな人もいるし、逆に子供がいるけど不幸な人もいると思います。産みたくても産めない人もいるだろーし・・・。でも、それでも幸せな人もいるんじゃないですか?」
A「(キレ気味に)そうなんだよ!だけど絶滅していく動物のドキュメンタリーとか見てると、本能的に何かさみしいだろ?生物学的な観点から言えば、生物の存在意義は種の繁栄かもしれないけど、その生物本人からしたら、種の存在意義と自分の幸せの価値は違うし、幸せの価値基準はむしろそこじゃないんだよ」
私「んー・・・、結局何が言いたいんですか?」
A「あらゆる事象に対して思考を放棄しないで欲しいって事だね。人間は脳を持つ、思考する事が出来る生き物だから。政治も文化も人種も戦争も震災も。思考する事や興味すら無くされる事が、当事者にとって一番辛い事だから」
私「(何かすごい展開になったと思いながら)はー、なるほど。」
A「そんな重いトピックだけじゃなくてさ、服とか髪型とかメイクとか車とか音楽とかインテリアとか・・・。サブカルチャー要素に関しても、殆どの人が要はモテたいから頑張るわけじゃない」
私「そんな人ばっかりじゃないと思いますが・・・」
A「(カブせ気味に)そこに対して思考を放棄されるとゆーか、興味すら示されないのであれば、誰もそこに対して頑張らないでしょ?」
私「確かにお洒落して美容院行ってヘアメイクして、デートするときに何も気付かれなかったらさみしいですね」
A「(水を得た魚のように)そうなんだよ!結婚して10年経って、服にも髪型にもこだわらなくなる夫婦っているでしょ?そりゃそうだよ。お洒落しても誰も自分に興味持ってくれないんだったら。だからこそモテる為には常に思考する事、そして相手を褒める事が大事なの。思考を放棄した瞬間、人間はその存在意義や幸せを享受するチャンスを失うんだよ。だから俺は万物に対して常に思考するようにしてるんだ」
私「(何だこの展開と思いながら)・・・Aさんは最近モテるんですか?」
A「(即答で)俺はモテるよ。異性から恋愛対象としてモテるかどうかは別として、深い思考の繰り返しを続ける俺は興味の対象として、この上無いぐらい魅力的な褒め上手の人間だから」
私「・・・」
・・・と、泥酔こそしてはいたものの、彼なりの芯の通った、非常に熱いトークを繰り広げていました。
真面目な話。
人間はやはり周囲の共同体と連帯を持って人生を生きていく上で、
幸せの基準が、自分優先から、他人優先に変わる方が多いと思います。
つまり自分自身の夢や幸せと言うよりは、
自身の大切な家族や伴侶となる人物、子供や孫、組織や会社といった、
血縁関係や親族関係、人生の夢や目標でもあるビジネスのゴールに向かう共同体の仲間の幸せ、
つまり他者の幸せが、自身の幸せに変わるのだと思います。
その定義上では、私の思考はまだまだ未熟な子供なんだな、と感じました。
しかし親にとってみれば、子供はいつまでたっても子供であり、
またその子供に対する愛情は、他に代え難い無償の愛であり、
例えば子供が政治家になろうが、物書きになろうが、ダンサーになろうが、
或いは今までに存在しない、世界的な革命家になろうが、
世俗的な価値観とは無縁の、それは普遍的かつ能動的な愛情であるのだと思います。
その中で、自分の子供が幸せな生活を送り、またその中で新たな命が誕生するのであれば、
それが親にとっては何よりの幸せであり、それ以上にない親孝行なのかな、とも思いました。
長くなりましたが、そのような事を、今回の帰省で学んだ気が致します。
学んだ事象は、日々の生活に還元していきたいと思います。
最後に、最近好きな言葉を。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし、
人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
道は天地自然の物にして、
人は之を行ふものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也。
西郷 隆盛
仙台の夕焼け