2012年 09月 09日
セメント樽の中の手紙
初秋の訪れを感じる久方ぶりの休日に、東陽町なる街で、免許証を再発行して参りました。
涼しげな気候の中、自動二輪車へ跨り、遠方へ小旅行へ出掛けたくなりました。
帰り道にぶらりと神保町へ立ち寄り、胸躍る作品を購入致しました。
プロレタリア文学の鬼才、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」であります。
数年前、インターネットを媒介して拝見した事のある作品でしたが、
やはり一冊の本として手に入れると、その重みに刺戟を受配されるのであります。
そこにはこう記されておりました。
(作品中より抜粋)
---彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。
「私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。
そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌(はま)りました。
仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。
そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入って行きました。
そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細かく細く、はげしい音に呪いの声を叫びながら、砕かれました。
そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
(中略)
あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相だと思って、お返事下さい。
此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
(中略)
あなたが、もし労働者だったら、私にお返事下さいね。
その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。
この手紙を包んであるのがそうなのですよ。
この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸み込んでいるのですよ。
あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
あなたも御用心なさいませ。さようなら。」
松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻(あお)った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打(ぶ)ち壊して見てえなあ」
と怒鳴った。
「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」
細君(松戸与三の妻)がそう云った。
彼は、細君の大きな腹の中に、七人目の子供を見た。---
(大正十五年一月)
全文を読みたい方はこちら↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html
大正の労働者階級の絶望と、そこに現れる生命の誕生と言う希望を対比描写した、葉山嘉樹の名作。
暗調な展開の中に垣間見える、男と女、仕事と酒、金や性といった単純な欲に溺れる社会構図が、
大正15年から86年経った平成の今現在も、さして変わらぬものであることに、
私は何か複雑化した現代に、咀嚼しきれぬ想いを抱いたのであります。
-ふぅ、苦しい。
そしてやはり小説は素晴らしいと、再確認する事が出来た次第であります。
大正時代に記した原稿用紙10枚が、86年後の一人の怠惰な人間に、
感動と奮起、大きな行動力を与える事ができるのですから。
-あー、苦しい。
そんな事を、考えておりました。
咀嚼しきれぬ二郎を啜りながら。
神保町の夕暮れ。