別れの言葉

青柳です。

2011年3月11日。

この日は宮城県仙台市出身の自分にとって、日本にとって、世界にとって、忘れる事が出来ない一日となりました。



まず始めに、



今回の悲劇によって無念の失命をされた被災者とそのご家族の皆様に

御悔やみと鎮魂の願いを心より御祈り申し上げます。

そして自分の故郷である東北

宮城県、岩手県、福島県を中心とした地域で

東北のプライドと秩序を保ちながら今も戦い続ける

世界に誇る私の愛する友人、知人、家族、全ての被災者の皆様に

この場を借りて最大限の敬意と

心からの応援メッセージを送らせて頂きます。



私の実家は宮城県仙台市の内陸側で、

今回の地震で家が一部崩れるなどの被害はありましたが、

津波の被害は無く家族は全員無事でした。

しかし一部の友人は連絡が取れないままであったり、悲しい知らせも届きました。



その友人は

高校を出て10年間、厳しい自動車工場で働き続け

一昨年に一体どこで見つけたのか、全く似合わない素敵な女性と結婚し

去年待望の女の子が生まれたばかりでした。

今年の始めに年賀状が届いて

幸せそうな顔をして三人と一匹の犬が笑っている姿が印象的でした。

その幸せが一瞬にして、あの地震、あの津波にさらわれてしまった。

人類が平等なんていう話は自分も信じていなかったし

生きてるだけで十分だっていう説には呆れていたけれど

今回の震災で、考え方が少し変わりました。

…頼むから生きていて欲しかった。



向こうで家族三人と一匹、幸せにな。



今回の震災では多くの問題が露呈されましたが、

僕自身、特に多くの情報量を短時間に知る事が出来るTVメディアの報道には、

感謝する部分もありながら、疑問に感じる部分も多かったのが本音です。

情報はTVとネットを使って収集していましたが、

正直どれを信じればいいのか分からない情報も多く、

疑心暗鬼に駆られる事もありました。

そんな中、ニューヨークタイムズ紙に寄稿されていた村上龍氏の言葉/スタンスに強く共感を覚えたので、以下に転載させて頂きます。



「危機的状況の中の希望」 村上龍

‐先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。

だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。

だから私は信じていく。‐

原文
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581



…そう、今必要なものは「危機的状況の中の希望」であると、強く感じます。



そんな中、震災でその存在意義を改めて証明したTWITTERやMIXIといったSNSツール。
SNS内で作家の草下シンヤさんが書いていた日記に強く共感しました。

‐甚大な被害を受けた宮城県石巻市に被災地支援に行っている方が、ツイッターに投稿した写真に感動を覚えました。



「 宮城を離れた県民のみなさん。

 松島の夕暮れは健在です。

 噂で松が死んだと聞いていたので、少しホッとしました。

  http://yfrog.com/h4guqdjj 



リンク先に飛ぶと、松島の海岸写真がありました。

薄いピンク色に染まり始めた、普段であれば取り立てて特徴のない、松島の夕暮れの写真。

しかし、それまでの被災地の映像や写真は衝撃的なものや悲惨なものばかり。

この写真は、ごくごく普通の、日常の中にある「松島の夕暮れ」の写真でした。

この光景を見た時に、なぜか涙が込み上げてきました。

被災地に行きたくても行けない人たちは大勢いる。

県内から出たくなくても、家に残りたくても、避難した人たちも大勢いる。

その人たちがこの写真を見たときに、

日常の中にある「松島の夕暮れ」を見た時に、

そうか、この松は無事だったのかと、

きっと勇気づけられると思ったのです。 -



この写真が表しているものこそ、まさに村上龍氏が語っていた

「危機的状況の中の希望」

なのではないかと、私は思います。

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by mitsuyado | 2011-03-31 23:59 | aoyagi | Trackback | Comments(0)